マニラ

 1899年、フィリピンは16世紀以来続く宗主国スペインの植民地支配を脱し、アジアで最初の共和国として独立する。1896年に始まった独立派の武装蜂起を「フィリピン革命」と呼ぶが、その精神的な指導者として民衆に英雄視されていたのが、ホセ・リサールである。Jose' Rizal は1861年にスペイン領フィリピナスのラグーナ州カランバに裕福な借地農家息子として生まれ、アテネオ・デ・マニラ、サント・トマス大学で医学を専攻。学業も優秀で海外留学の経験も持つエリート。リサールは日本にも立ち寄ったことがあり、日比谷公園の一角にその記念碑がひっそりと建てられている。フィリピン人にもスペイン人と対等な権利があることを主張し、フィリピン人がスペイン人に権利を認めさせるには教育が不可欠だと説いた社会改革論者。「ノリ・メ・タンヘレ」と「反逆」という2冊の小説によってスペインのフィリピン支配を糾弾し、新聞を発行してフィリピン人の民族意識を強め、独立の必要性を訴えた。彼自身は革命組織と直接のつながりを持たなかったが、フィリピン革命勃発と同時に反乱の扇動者として逮捕され、形式的な裁判を経て処刑(1896:12:30)されてしまう。だがフィリピン人たちは今でも彼を独立の英雄としてたたえ、彼の名は公園や学校の名になっている。

 当時、予備知識など何も調べないで観光したためなんとなく見物していたのが、整理する時になり歴史など調べて見てここにはこうゆう歴史があったのだと、あとで気付いた。たとえば上記カランバには何度となく、食事あるいはナイトクラブに行ったが、ホセ・リサールの生誕の地であることは今まで知らなかった。

マニラ湾岸の道路

サンチャゴ要塞

イントラムロスの北西の端にあり、かっては戦略上非常に重要な役割を果たしていたとされる。もとは海賊をふさぐために造られていたものをスペイン人が城塞化した。その後のアメリカ統治時代、日本軍占領時代にも使用されていた歴史をもち、今も地下牢、水牢跡などが残っている。

     

リサール公園

広大な敷地をもつ美しい公園。園内には緑が多く、噴水のある大きな池や中国庭園などは市民の憩いの場になっている。公園の名の由来は、フィリピン独立の国民的英雄ホセ・リサール。ロハス大通側に彼の記念碑が立っているが、ここはスペイン政府によりリサールが銃殺された場所。

 

 

 

 

 

 

 

 

スペイン統治時代の城壁都市イントラムロス

16世紀、スペイン人がフィリピン統治の本拠地として建設した城塞跡で、マニラ市の中央、リサール公園の北側に位置。かってはマニラ湾を中心に貿易都市としても発展し、城壁にぐるりと囲まれていたイントラムロスだったが、第2次世界大戦で破壊され、当時の建物として残るのはサン・オーガスチン教会のみである。

サンチャゴ要塞の中の地下牢?水牢

サンチャゴ要塞から河口を望む